Heavy Duty

一緒に考えましょう。

日本人の識字率が低い、という話。

イケハヤさんがYouTubeでのコンテンツ提供について「識字率が低い」旨の発言をされていました。

非常に理性的で面白い視点だと思ったので、氏が意図したところが何かを考察してみます。

 

文字とはなにか

識字率が低いということは、文章を読むことができないということを意味していると思う。

では文章を読むことができないということは、どういうことなのか。

そのことについて考えるためには、まず文字とはなにかについて考えなければならないだろう。

文字とは、

 ①時間的に離れた相手でも

 ②空間的に離れた相手でも

 ③意図を伝えることのできる記号

である。

①時間的に離れているとはどういうことかというと、私が朝に送ったメールについて、相手が夜に確認するような場合、又は10年前の著書を今現在の私が読むような場合である。

つまり、同じ時間軸にいる必要がないということである。

②空間的に離れているとはどういうことかというと、日本にいる私がアメリカにいる友人に手紙を送るような場合、つまり同じ場所にいる必要がないということである。

③意図を伝えることのできる記号とはどういうことかというと、「嬉しい」という感情や「A=B」という論理や「CがDになった」という事象などについて、私と相手の中で共有するということである。

この、文字を使って組み立てられた一連のかたまりが文章である。

 

「文章の発音を再現できる=文章を読める」ではない

義務教育の場では、国語の教科書を音読するような場面があると思う。英語の教科書を音読するような場面もあるだろう。

これら音読というのは、単純に書いてある文字の発音を再現しているのみに過ぎない。

もしかするとそれ以上のことをやっている場合もあるかもしれないが、大抵のやらされている状況においては単に発音しているだけだろう。

この、発音を再現できるだけでは、文章を読めるということにはならない。

文章を読めるということは、そこに書いてある文字と文字の有機的な組み合わせを咀嚼し、自分の中にひとつの流れ(物語や論点や論理)を構築することをいう。

したがって、この「発音の再現≠読める」という論点をして、氏は「識字率が低い」と評したのではないだろうか。

つまり、いくらYouTubeでコンテンツ提供をしたとしても、提供者の意図する内容が伝わらない、論理が伝わらない。

そのことによって視聴者が異常な解釈をし、迷惑コメントなどの異常な行動を起こすような状況があったものと想像する。

YouTubeの視聴者は老若男女様々であり、むしろ単に視聴するだけの人間は恐らくリテラシーが低い。そのような総合的な状況を評した言葉だったのだと思う。

 

私たちは本当に文章を読んでいるのだろうか?

インターネット上には様々な情報があふれている。

それらは善意であれ悪意であれ、とにかく提供する側の人間が提供したいからこそ提供されている情報である。

提供者の仕事は、提供する時点までである。

それをどれだけわかりやすい形で、あるいは伝わりやすい形で提供するのかは本人の力量によるけれども、とにかく提供すること以上のことはできない。

そこから先は、私たち受け取る側の人間の仕事である。

提供された情報について、提供者の意図するところをきちんと整理できているかどうか。自分自身の誤った価値観や前提知識によって、それら情報の価値を歪めてしまっていないかどうか。

最も不幸なのは、自身の前提に縛られて自由な発想ができなくなってしまい、その発想と相容れない情報を目にした際、それが間違っていると思い込み攻撃するような場合である。

このようなことが起こると提供者は不快になるし、受信者の態度は悪いものになるしで良いことがない。

そういった不幸な事例が生じないようにするためにも、私たちは日々触れる情報について、文脈や前提など様々な要素を入念に考慮しつつ、自分のものとしていく必要があるだろう。

 

自分への戒め

ただ私は、情報を伝える側と受け取る側がいたとき、その情報が正しく伝わらない場合における責任については、基本的に伝える側にあると考えている。

受け取る側が真の意味で受け取ろうとしていない場合は論外だが、そうでない場合には伝える側の力量が試されるというわけである。

相手によって価値観の前提は違うだろうし、言葉のひとつひとつの受け取り方も違うかもしれない。場合によっては身振り手振りのボディーランゲージや、話し方の抑揚や表情・態度なども適切に組み合わせなければならない。

情報は情報でしかなく、それ以上でもそれ以外でもない。

大切なのはその情報をどう受け止め、どう利用するか。どう論理に組み込み、どう行動に落とし込んでいくかである。

普段顧客に対して情報を伝えることが多い職業であるため、私も自分の行動を振り返りつつこの記事を書いている。

ただ過去の失敗に凹みすぎてもいけない。その失敗を受け止め、次にどう活かすかを考えればよい。

それが大人の特権である。