知識の壁/思考の壁/バカの壁
あなたがだれかと話をしているとき、壁を感じることはないだろうか。
テニスの話をしようにも、相手がテニスについてよく知らないため、盛り上がって話をすることができない。
政治の話をしようにも、相手があなたとは違う考え方や政治的立場をとっていて、うかつな話ができない。
数学や論理の話をしようにも、相手がそれらのことを苦手としていて、又は苦手であると思い込んでいて、いくら伝えても理解してもらえない。
共通の知識がなければ、その点について議論することはできない。
共通の思考がなければ、どうしても相手の立場を否定しようとしてしまう。
共通のロジックがなければ、こちらのロジックが伝わらず理解してもらえない。
このように、会話をはじめとするコミュニケーション全般には、あらゆる前提を必要としてしまう場面が多くある。
しかしこの前提、お互いに完璧にすり合わせることはできるのだろうか。
もともと長期の関係がある相手とならば、お互いのバックグラウンドや共通前提の共有が進んでいると考えられるが、初めましての相手にそのようなことをするのは不可能である。
言葉は概念の記号化であり、その概念が個人の中で理解されているという前提のもとで成り立っているし、それが言葉の機能である。
そしてこの言葉を尽くさなければ、求めるコミュニケーションは得られない。
きっと、互いの前提をどれだけ共有できているかどうかが、円滑なコミュニケーションの根本になるのだろう。
しかし…そのようなことをやっていてはきりがない、という場面も確かに存在する。
会議の場で全員の前提をすり合わせることは不可能だし、個人同士でも無限に時間があるわけではない。
では、我々はコミュニケーションを取るにあたり、どのような点に注意すればいいのだろうか。
私は、コミュニケーションにはいくつか種類があると思っている。
明確な達成目標のあるコミュニケーションと、それがないコミュニケーションである(このふたつはMECEである)。
明確な達成目標とは、例えば意思決定をする会議であるとか、論点を伝えるミーティングのようなものである。これらは達成目標が定められているので、その目標を達成するためにはどうすればいいかを考えればよい。
それは事前に前提知識をすり合わせておいたり、目標を共有しておいたりすることだろう。
一方明確な達成目標のないコミュニケーションとはどのような場面だろうか。これはいわずもがな、雑談である。
雑談というのは、相手のことを知り自分のことを知ってもらうための絶好の機会である。ただ、そのような漠然とした目標であるがゆえに論点が発散してしまい、逆に困難であると言わざるを得ない。
ではこのようなとき、我々はどのような点に注意してコミュニケーションを取ればいいのだろうか。
私はこの点について、壁打ちという考え方を実践したいと考えている。
つまり、相手が投げてくるボールを、こちらはただ受け止めるのである。受け止めて理解に努める。そうすることで相手は、投げたボールが壁に当たって返ってくることになる。返ってきたボールを受け止め、また相手はボールを投げる。
この方法には利点が3つある。ひとつはこちらが相手の考え方を理解できる機会を得られること。もうひとつは相手が自分自身の思考の整理ができること。そして最後に、これが最も重要であるのだが、こちらが相手を理解しようとしている姿勢が相手に伝わるということである。
コミュニケーションの基本は、理解してから理解されるということである。
知識などの前提が共有できないからといって、コミュニケーションを諦めるべきではない。逆に言えば前提の共有に努めることによって、円滑なコミュニケーションは実現可能だと私は考える。
様々なコミュニケーションエラーが発生している現代で、この点は注意していきたいものである。