Heavy Duty

一緒に考えましょう。

時間を取り戻すための戦い

人間全員に平等に与えられているもの、時間。その時間について、これまでどのような使い方をして、これからどのような使い方をしていきますか?

この記事と一緒に振り返り、そして未来を考えてみませんか?

 

モモ

モモという本がある。この本は言わずと知れた不朽の名作で、時間とはなにかについて考えさせてくれる本である。

物語はモモという女の子が主人公で、その子の周りの大人たちが時間銀行に時間を奪われるところから始まる。時間を奪われた大人たちは以前とは変わってしまい、いつもせかせかとした様子で狂ったように働くようになる。モモはとあるなりゆきから、その時間銀行と対決することになり、奪われた時間を取り戻すために冒険するというはなしだ。

この本では時間というものを非常に流麗な文章で表現している。それは誰の中でも美しく輝いているものであり、かけがえのない大切なものという描写がなされている。この部分の表現が感動的なので、読んだことのない人は一度読んでみることをおすすめする。

 

時間の使い方を選択する

私たちは、日々生きるために時間を使っている。生きるために仕事を行い、生きるために衣食住を満たし、生きるためあらゆることのために時間を使っている。

中でも仕事に使う時間は膨大で、人生の半分以上を費やしているといってもいいほどだ。そうして働くからこそ収入を得ることができ、安定して生活していくことができる。

サラリーマンとして働くなら、この安定の中で生きることになる。サラリーマンはある意味どんな場合でも給料を得られることが保証されているので、リスクを取らない安全な生き方だ。

当然だがリスクを取らないことには大きなリターンはない。これがいい意味でも悪い意味でも安定しているということである。ただ、あくまでリスクを取らないという選択に良し悪しはないと思っている。それはそれぞれの人間の自由であるし、その選択に他人が介入することはどんな場合でも人権侵害である。

しかし今の私は自分自身に疑問を感じている。日々「通勤」に多くの時間を費やし、「作業」に多くの時間を費やし、得られるのは生きていくのにやっとの金額だけ。これから状況が変われば、生きていくことすらままならない程度の金額かもしれない。

このような、時間をお金に変換するような生き方でいいのだろうか? 誰しも平等に持っている時間という輝く花を、このような使い方でお金に換え続けることが正しいことなのか?

資産を築けるわけでもない、スキルが身につくわけでもない、ノウハウをためられるわけでもない。このようなただの「作業」を続けて生きていくことが、本当に自分がやりたいことなのだろうか? そうして得られる収入は、果たして自分が差し出した時間に見合うものなのだろうか?

私は別に、全ての会社員の働き方を否定し、煽ろうという意図があるわけではない。それでいいと自分で判断しているのなら全く問題ないし、どうこう文句を言う筋合いもない(文句を言う筋合いがある場合などないだろう)。

ただ、なにも考えずに思考停止し、周りが同じようにやっているからという理由だけで今の道を選択したのであれば、これは問題である。そこには意思というものがないし、意思のない選択には重みがなく、責任を取ろうという思考も生まれない。

いつでもどんなときでも、人間は自らの頭で思考し、選択しなければならない。選択するからこそ自分の人生を受け止めることができるし、責任を持つことができる。今日より少しでも良い明日にしようと取り組むことができる。

だからこそ、自分の生き方――つまり時間の使い方について主体的に選択することが人間でいることの証だと思うのだ。

 

時間を取り戻すために戦う

私は今、戦っている。

かつては前述したような、ただ周りに合わせて生きているだけの人間だった。なにひとつとして選択せず、望ましくない状況になればいつも自分以外のなにかに責任転嫁していた。完全に思考停止状態である。

きっかけがあって、考え直した。このままでいいのか、そして自分がどうしたいのかを。その結果目標を作ることができたので、今はそのために一歩ずつ積み上げている状況である。

資本主義社会は、持つ者が持たざる者から利益を吸い上げ、持たざる者を思考停止した人形に仕立て上げていく。もちろんこれは資本主義の一面でしかないし、ひとつのものの見方でしかない。ただ今の私は、この持たざる者からの視点でしかものを考えることができないし、この立場から脱出することもできない。

だからこそ私は戦う。このような他者を食いつぶし使い捨てる仕組みの中で、しかも使い捨てられる側の存在として一生を終えるのはまっぴらごめんである。

そのためにまずは一歩ずつ。今の自分にできることを積み上げていく。

目標を見据えるだけでは足りない、現状を受け入れてそこに満足しては届かない。現状を受け入れたうえで、目標と現状の差分を測定し、その差分を埋めるためにできることをひとつずつ積み上げていく。

このことが今の我々にできる最良の一手である。