Heavy Duty

一緒に考えましょう。

YouTubeの次にくるもの

近年、ユーチューバーという職業が誕生した。

本当は、この誕生という言葉は適切ではない。なぜならYouTubeへ動画投稿する人はずっと昔からいたからだ。これが徐々に注目を集め、職業として認知されるに至った。
物理的な存在以外は全て、相対的な存在である。ユーチューバーは、認知されることによって存在することとなった。
しかし存在するということは、いつかは消えるということだ。
 
YouTube以前
ずっと昔から庶民に受け入れられていた娯楽としては、本や絵がある。小説は昔から存在しているし、浮世絵などは世界的にも受け入れられた文化だ。
絵は写真へと進化し、活動写真すなわち動画へと進化した。一方本はあまり進化していないように思える。そういえば傘も進化していないもののひとつだ。
話が逸れてしまったが、要はこのようにコンテンツというのは普遍性があって、時代や文化に依存しない影響力がある。人間がなぜ物語を必要とするのか、絵を見て美しいと感じることがなぜ必要なのかは別の機会に考えることとして、ここではこれまでに流行したサービスあるいはプラットフォームが含有する普遍性を考えたい。
ラジオは戦前からあった。テレビもそうだ。それらは始め、決して一般的なものではなかったけれども、時間が経つにつれてどの家庭にもあるものになった。
やがてインターネットが一般化し、ブログというものの流行が始まった。これは個人的な本に近いものである。そしてmixiFacebookTwitterといったSNSも流行した。それらは基本的に文字によるコミュニケーションを前提としていたが、カメラが一般化することでInstagramが流行。これは個人的な絵の発信である。
そしてYouTube。カメラの一般化が進み、動画撮影機能の一般化も進んだ。そのことによって動画を撮影する人が増え、ユーチューバーが生まれるに至った。
 
YouTube以後
これらの振り返りから、人間の行動を駆動する原動力となるのは、以下のようなものだろう。
物語。美。知的好奇心。コミュニケーション(承認欲求を含む)。
YouTubeに触れるという行動は、これらのすべてを何らかの形で満たしている。個人の物語に触れることができ、美を感じることもできる。勉強系の動画では知的好奇心を追求することができるし、コメント欄ではコミュニケーションを深めることもできる。チャンネルというコミュニティで地位が確立されれば承認欲求も満たされる。
これは物凄いことである。振り返ってみればすべての点が繋がっていたということはあるけれども、サービスを作るうえでは先見性がなければ実行できない。
ただ、YouTubeのコンテンツは殆どの方向性が消費されつくし、正直言って飽きられている。芸能人が入ってきた時点で飽和するのは見えていたが、やはりテレビと同じでマンネリを迎える。
また、コンテンツを消費するために画面を注視しなければならないという点も大きい。これが時間的に拘束される原因となり、あまりよくない。ラジオが根強く生き残っているのは、これが作業と同時並行するのに適しているからである。
 
次は音声コンテンツか?
現代人は暇ではないが、その行動のほとんどは「楽しみ」ではなく「作業」である。この作業のお供にうってつけなのが音声コンテンツである。
これまではラジオだった。ただラジオはあくまで公共性をもつものであり、個人の趣味や嗜好とは必ずしも一致していなかった。それに加えてある一定のコンテンツの型があり、それも内容を狭める一因になっていた。
他方でPodcastというインターネットラジオもある。ただこれは、運営が大変な割に単体での収益化が難しく、流行の最先端であるとは言えない。
しかしながら、今後音声コンテンツが伸びると想定している者は多く、既にそのような内容の記事はネットにあふれている。そうであるならば、これをチャンスととらえ音声コンテンツ配信を行うプラットフォームを作る事業者が出てくるだろう。
というか。もう出てきている。Voicyなどがそうだ。これはYouTubeと同じように、再生数に比例した収益化を開始している。こうなれば一般人がコンテンツ作成に参加する障壁が低くなり、より一層この流れは加速するだろう。
テクノロジーの進化によってマイクも既に一般化している。これはもうはやらない理由がないだろう。
ただ、どのようなコンテンツがうけるのかはまだわからない。YouTubeの焼き回しをやろうとしても「~してみた」というコンテンツは映像メインのため作成しにくく、勉強系の内容も映像を用いない場合は言葉のみで説明することになり、そのためには技術が必要だ。
そのことを考えると生放送という一体感を創り出すもの、身の回りの出来事をツラツラと綴るブログのようなもの、あるいは即時的でないメッセージを介した緩いやりとりなど、いくらでも可能性はあるように思えるのだ。