Heavy Duty

一緒に考えましょう。

他人に構ってる暇なんてなくない?

1.あいつやばいぜ

 

先輩と話しているときだった。
先輩は言った。
あいつ、誰よりも早く来て誰よりも遅く帰ってる。あんなこと続けてたら倒れる。やばいぜ。

僕は言った。
それはそうですよねー。
しかし、内心思う。
そんなこと、どうでもいいと。

世間の人は、みんな他人のことを気にしていて、肯定したり否定したり、励ましたり心配したりしている。
そういう人が周りに多いのだけれど、どこでもそうだろうか?
少なくとも、今の職場は4社目だけれど、そういう人は多かった。そして僕も、そういう人間の一人だったと思う。

ただ最近、思うのだ。
僕自身のこと、僕の家族のことで手一杯なのに、他人の心配してる余裕なんてない。
僕や僕の家族以外の人が悩んでいようが、仕事で失敗しようが、倒れようが、そんなことは僕には関係ない。
僕自身の将来のことや、勉強している資格試験のことや、これからもちたい子供のことや……そんなこんなを考えるので手一杯なのだ。

そういうことを思うと、世間の人って優しいよなあと思う。
自分自身のことすらままならないのに、他人の悪口や心配やらで忙しい。
きっと他人に興味津々なんだね。
僕は残念ながら、そうではない。

 

2.思いやりと過干渉の狭間で

 

他人を心配する人って、思いやりがあって真面目な人なんだと思う。

自分と同じ失敗をしないように、誰かの損にならないように、先回りして色々とやってあげる。教えてあげる。まるで過保護な母親のように。

でも、その行為には、「他人の役に立って好かれたい」「さすがだと褒められたい」という打算が見え隠れしていて、そしてその奥に「他人は私が手助けしてあげないとなにもできない」という見下した無意識がある。それってきっと、自分では気がついていない。

思いやりっていうのは、相手のことを気遣うことだけれど、それは相手の不利益にならない範囲内のことをいう。そのラインを超えてしまったら、思いやりが一転、過干渉になってしまうのである。

僕は、そういう場面をよく見てきたし、今思えばあれは過干渉だったなと反省することもある。

他人だって、独立した一人の人間だ。自分のことは自分でできるし、たとえ間違ったとしても、それは自分で責任を取ったり正しくやり直したりできる。

過干渉は、そんな成長の機会そのものを奪ってしまうので、迷惑だと感じるのだろう。

 

3.「シンパイ」して欲しい女と「シンライ」してほしい男