生きることは避けられない、そして生きることで避けられないことがある、って話
よほどの事情がない限り、生きている以上は、生きることを避けられない。
そして、生きることで避けられないことが出てくる。
それらにどう対処すればいいのか、考えてみた。
1.生きることすなわち
こんなことがあった。
僕は会社員として働いている。本当によくあることではあるが、上司と客先との間で板挟みになった。
上司はこうしたい。客先はこうしたい。それらの間をとりもつ形だ。僕はただ、録音と再生を続けるだけである。だがしかし、僕は機械ではない。
余計なことではあるのだが、その内容について自分なりに思考してしまい、精神的に苦しくなってしまった。
これが生きることで避けられないことのひとつ、つらい気持ちになる、というものだ。
他にもいろいろある。他者に拒絶・否定・侮蔑されること、肉体的精神的に苦痛を味わうこと、無力感に苛まれること、その他多数。
2.苦しむ覚悟はあるか
撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけだ、なんて言うけれど、幸せになっていいのも、苦しむ覚悟のある奴だけだと思う。
メリットデメリットが同時に存在するように、裏のない表がないように、失敗のない成功がないように、生きることと幸せと苦しみはセットなのだと思う。
けれども、自分にその覚悟があるかと言えば、それはちょっと違うと思う。覚悟をする前に、覚悟が必要だと知る前に、もうこの世に生まれてきてしまったのだから。
生まれてきてしまったものは仕方がないので、生きることは避けられない。
生きることが避けられなければ、幸せも苦しみも受け入れるほかない。
そう、覚悟を決めるしか、そもそも選択肢がないのである。
3.受け入れて受け流すこと
苦しみを避けられないことはわかった。もちろん苦しみの絶対数を減らすことや遭遇確率を下げることは可能だろうが、全くゼロにすることはできない。
そうであるならば、生きている以上、必ず苦しまなければならないのか?
答えは否、である。
受け止めることと、味わうことは違う。見つめることと、見ることは違う。
苦しみを避けられないのであれば、それらの苦しみについては、ただ受け入れて受け流せばよい。
それだけである。
感情が発生することは変更できない。しかしその感情を味わうかどうかは選択することができる。
苦しみに遭遇したならば、それらを受け流せばよいだけなのである。
感情をオフにするスイッチがあれば、一番いいのだが。