Heavy Duty

一緒に考えましょう。

テクノロジーに解決してほしい問題を並べてみた。

手元の端末があれば、いつでも、どこにいても、なんでもできる。

そんな自由な時代だからこそ、もっと自由を拡張してほしい。

 

1.国家、搾取者、物理証憑の消去

今の世の中は、生きていくためにとにかく所属が必要である。

国家・企業はもちろんのこと、健康保険組合から町内会まで多種多様、複雑怪奇。

しかもそれぞれで「手続き」なるものが存在しており、なにをするのにも大量の書類が必要になる。

明らかに電子的に情報が保存されているのに、管轄が違うという理由で自分たちではなく利用者に「手続き」を求める。

なぜ、自分の住所を証明することに、時間と労力と対価が必要なのだろうか。参照するだけなのである。

なぜ、供給者から欲しいものの供給を受けるだけなのに「○○手数料」などと対価が必要なのだろうか。

特に自分のお金を手元に引き出すだけで対価を要求されることについては、いったい何の対価なのかと教えてほしいくらいだ。

商品売買や役務提供について、テクノロジーは供給者と需要家を直接つなぐことができる。

これまで発生していた「手間」は、もはや存在していない。

 

2.固定的画面から可変的画面へ

いつまで画面の大きさに悩まされねばならないのだろう。

端末は、中身の性能もさることながら、画面の大きさで機能に制限がかかる。

今後は、手元の端末は処理装置に接続するだけのものになり、その処理装置の持つ演算能力を利用して、様々なサービスを受けることになるだろう。そうなれば手元の端末に極端な処理能力は必要なくなり、中央処理装置にのみ性能を集約させることで、供給の効率も高まるだろう。

結果的に性能の異なる複数の端末を持つ必要はなくなり、残る問題は画面の大きさの可変化である。

拡大や縮小をすることができるのだから、画面そのものを拡大や縮小することもできるだろう、と僕は思う。

僕だけか?

 

3.固定的衣食住から可変的衣食住へ

服を所有し、管理することは大変な手間である。電子的に見た目を変更できる「衣」がほしいものだ。服飾のサブスクリプションサービスはそれに近いものがあるが、やはりまだ「物理」にとらわれている。物理にとらわれ続ける以上、それを保管する、管理する、運搬するといった問題が出てきてしまう。

食を考え、管理することは大変な手間である。ただしこれは物理でしかありえないため、難しい。まずは食に関する手間を機械に代替させればよい。

家に住むことも大変な手間である。そしてこれも物理である。賃貸物件に住む場合、現在は存在するものの中から選ぶ形式しか存在しないが、好みの内装や配置を自分で決められるようになってほしい。

様々な供給者が様々な方法で(お洒落です、使いやすいです、駅が近いです、駐車場があります、などなど……)供給物の優位性を訴えているが、そもそも需要と供給を一致させる作業が非効率である。需要と一致した供給だけを生み出せばよいのである。

 

とにもかくにも世の中は非効率である。

需要を満たす際、必ず「探す」「手続きを行う」「待つ」などの工程が入り、供給に結びつくようになっている。

弁護士に相談したければ、子供を預けたければ、納税したければ、探すのではなく手元の端末に相談する。

それで完結するはずなのである。