Heavy Duty

一緒に考えましょう。

税金なんて他人ごとである

脱税や申告漏れにかかわる報道は、一定数継続的に存在している。

脱税とは、申告漏れとはなにか。それらが違法行為である理由は、あるいはそれら違法行為が行われてしまう理由はなにか。

こと税金のことに関して、日本人は他人事というか無頓着であると感じる。

 

この社会をみんなで支える

日本国民は、基本的に納税の義務がある。これは、日本はみんなのものであり、みんなで互いに助け合って生きていくべきであり、助け合って生きていくための仕組みを作ったり維持するためにお金が必要なので、そのために納税しましょうというものである。

個人に課される税金は累進課税なので、基本的には稼げば稼ぐほど納税しなければならない。しかしながら、住民税あわせて55%で頭打ちなので、戦時中の所得税95%なんて税率に比べればかわいいものである。

そのように個人の能力に応じた額のお金を国に納めてもらうことで、国は国民へサービスを提供することができる。中には生活保護者など、それぞれの事情で満足に収入を得ることができない人もいるから、そのような人を支えるために使われることもある。納税している側からすれば、どうして自分だけこんなに納めなければならないのかと思いがちであるが、実際に生活保護を受給している方々の多くはこの制度に感謝しているものと想像する。そのような想像ができれば少しは優しい気持ちになれるのではないだろうか。基本的に、働いている人はそれだけで誰かの支えになっているのである。

このように納税は国家を根幹の部分から支えているため、この方向性に反する行為は違法行為とされる。また、誰かの支えになるというとらえ方ができる人間は納税について後ろ向きになることはなく、どうしてこんな額をと考えてしまう人間は違法行為に及ぶのだろう。

 

複雑怪奇な仕組み

日本は資本主義なので、基本的に資本家は資本家のまま、労働者は労働者のまま存在し続ける。資本家にとって、労働者はものを考えずに利益を運んでくれさえすればいい存在なので、労働者が考えなくていい仕組みと、適度なアメを与えて飼いならしている。

具体的には、所得税は給与から天引きされるし、住民税も給与から天引きされるし、社会保険も給与から天引きされる。そして1年間頑張ったご褒美として年末調整があり、最近はふるさと納税なんてものも出てきた。年末調整で受け取る還付金は、その名の通り還付金なので本来は自分のものであるし、ふるさと納税は単純に住民税のとりっぱぐれを防止、あわよくば本来必要な額を超えて住民税を納付してもらおうという仕組みである。

私は、これらの仕組みを義務教育で教わった記憶がない。ということは、義務教育はもはや機能していないので、必要な情報は自分で探さなければならない。なんでもそうだが、黙っていても豊かになることはなく、情報を知らなければ損をする一方なのである。

日本人の中で、自分がどれだけ納税したのか把握しているのは全体の何%なのだろうか。そして社会保険をどれだけ払ったのかまで含めると、いったいどうなるのか。それだけ自分の状況を顧みずに働くことが、過去の日本人が積み上げてきた規範である。

 

正しく知る

私は、複雑怪奇な仕組みが悪であるとは思っていないし、また納税が素晴らしいものであるとも思っていない。それらは社会の中で、日本の中で、あるいは人間として生きていくなら受け入れなければならない前提であり、言葉を選ばずに言えば仕方のないことなのである。

ただ、その仕組みの中で生きるなら、自分がどのような役割を果たしているのか、あるいは仕組みに加わることでどのような未来に加担しているのか、正しく知る必要があると思っている。国会議員に税金泥棒などという前に、自分が納めた税額と国会議員の収入や仕事内容を知るべきだし、増税に反対する前に、過去の租税の歴史や現在の国家予算・決算を知るべきである。なにも知らずに、あるいは調べようともせずに、ただ自分の感情に従って否定したりわめき散らしたりするのでは、動物と同じだ。思考してこそ人間なのである。

ちなみに、最近になって国の財務書類なるものが作られているので、興味があってみてみたのだが、やはり日本全体としては債務超過となっている。しかもかなりの金額の資産があるように見えるが、それは道路などの売却できない資産(民営化するなら話は別だが)であるから、普通に考えて倒産していてもおかしくないレベルである。徳政令なんて言葉がちらついてしまう。

話を戻すが、正しい知識を有さない者は正しい議論に参加できないので、まずは正しい知識を身につけることがスタートラインだと思う。もう世間からは忘れ去られていると思うが、東京オリンピックのロゴ問題でデザイナーである佐野氏が袋叩きにあったが、あれは大衆が根拠なく模倣であると認識してしまい、その大きな動きが国家的な決定を覆すことになってしまった不幸な例だ。なぜ大衆は、政治家が根拠のない発言をすると袋叩きにするのにもかかわらず、自らは根拠のない発言を繰り返すのか。人のふり見て我が振りなおせ、である。