生活保護は甘えではない
生活保護。この制度が現実味を帯びて選択肢に入る人も少なくないと思います。
この制度は、どうしようもない状況に陥ったときでも、人として生活をしていくために援助を受けるものです。
生活保護は甘えか?
生活保護という制度は、立派な国の制度である。
これは日本国憲法に基づいて、人が人としての最低限度の生活をできるよう、援助するものだ。
日本では自分の力で生活してください、という考え方が根底にある。これは大前提だ。
しかし、自分の力だけではどうしようもない状況に陥ってしまうこともある。
病気で働けない、災害で怪我をしてしまった、身体が五体満足でないなど、そうなる理由はいくらでもある。
そのようなことになったとき、生きるためにはお金が必要であるのだが、そのお金がないという理由で自殺するようなことがないように。最後の砦としてこの生活保護制度がある。
前述のように、まずは自分の力で生きるということが大前提であるから、売却できる財産があったり、そもそも働けたり、他の制度で給付や補助を受けることができたり、誰か親族を頼ることができるなら、まずはそこからやってみなければならない。
これらのあらゆる手を尽くしてもなお、どうしても自分の力だけでは生きていけないという場合に、生活保護を受けることになる。
人間は基本的に、尊厳がある。私はこの尊厳の力を信じていて、どんな人でも、人としてやるべきことをやろうというマインドを持っていると思う。
だからこそ私は、生活保護が甘えであるとは思わない。
自分で手を尽くして。できる限りの努力をして。そうしてでもどうしようもないとき、昔の人はもう死ぬしかなかった。
しかし、そうして人として生きることをやめない人間であるなら、この社会では人権が保障されている。
いのちは、そのような理由で失われていいものではないからだ。
少数派に対する非寛容が当事者を追い詰める
この現代においても、生活保護が甘えであるという考え方は根強い。
日本人はもともと生真面目な気質だからか、余計にそのような思い込みが強いのかもしれない。
確かに、自分のことは自分ですべきであるし、自分の周りの人が困っていたら助けるべきである。が、自分ではどうしようもないときや、自分の生活で手一杯で周りの世話をする余裕がないときは、仕方がないと思う。
そして「生活保護=甘え」という非寛容な考え方は、実際に生活保護を受給している人の精神を追い詰めてしまう。
生活保護を受給している人は、具体的には毎月決められた保護費を受け取る。
この保護費も無限に受け取れるわけではなく、きちんとした基準にのっとって計算されている。
例えば持ち家がある人はその分減るし、車がある人(車がなければ生活できないような地域に限るが)はその分減る。
この受け取ったお金を使い、毎月暮らしていくことになる。
日々の食事や、衣食住の支払いをするたびに、財布の中からお金を支払う。
このお金が、他人様から恵んでもらったお金であるというマインド(これは本人の認識もあるが、社会的な非寛容さからくる認識である)は、どうしようもなくその人を傷つける。
自尊心が削られ、自分は何もできないお荷物であるという認識になり、将来への希望を持つこともできず、次第に生きる気力すら失っていく。
生活保護を受け取っている人の自殺率が高いのは、このような社会的な非寛容からくる自己肯定感の喪失が原因のひとつであると思う。
手を差し伸べる必要はない、ただ受け止める
あなたの周りに生活保護を受け取っている人はいるだろうか。
いてもいなくても、まずは生活保護に対する自分の認識を見直してみてほしい。
LGBTは最近になってかなり受け入れられるようになった。これは社会が多様性を許容できることの証明である。
そうであるならば、生活保護を受け取っている人についても、受け入れることができるだろう。
人間の人間としての価値は、生活保護を受け取っているかどうかで決まるわけではない。
ただ、それぞれに生活があるのは当たり前だし、人によっては余裕のない状況、ギリギリの状況で暮らしている人もいるかもしれない。
そんな人までが、社会的弱者へ手を差し伸べるべきだとは思わない。まずは自分のことを自分ですることが肝要である。
なにか物質的な援助をすることだけが、誰かの助けになるわけではない。
人間は、自分が受け入れられていると思えることで、自分を受け入れることができる。
お金を渡せとは言わない、食事を恵んでやれとも言わない。そうではない。あなたの態度として常日頃から現れるちょっとしたことが、誰かの心を救うことがあるかもしれない。
個人主義をはき違えてはいけない
現代は個人主義の時代である。
自分のことは自分でやれ。当たり前のことを当たり前にしろ。人のことは放っておけ。
これら基本的なマインドのもとで、しかし私たちは、自分の気に入らないことを様々に簡単に批判する。
生活保護はなくせ、政府は役に立たない、あんな芸能人はやめさせろ。
確かに人間は、なにを言っても自由だ。
しかし、生活保護はきちんとした国の制度なのだから存在しているし、政府は目に見えない(見ようとしない)あらゆる仕事をしているし、そもそも有名な芸能人のことなどテレビの前にいる人には関係がない。
これら論理が破綻した主張をすることが、果たして人間であると言えるだろうか。
人間であることをやめてしまっては、個人主義以前の問題だと思うのは、私だけなのだろうか。