Heavy Duty

一緒に考えましょう。

今あるものを大切にするという方向性

税理士試験の勉強を続けています。

おおよそ税理士試験とは関係のないタイトルに見えますが、読み進めていくと関連が見えてくるのではないでしょうか。

 

やってることの振り返り

勉強しているとはいっても、その具体的な手法や取り組みはいくつかある。

①記録をつける。基本的に月~木曜日は4時間、金曜日は小休止、土日は8時間という目標で進めている。方眼ノートに4時間の日は箱を4つ、8時間の日は箱を8つ用意し、箱の中に日付を書いてから始める。1時間勉強できたら、ひとつ箱を塗ってよろしい。こうすることで箱を塗ろうという意識が働く。

ただ、できなかった箱はそのまま置いておく。からの箱から埋めようとすると、どうしても目標と実績の乖離が進んでしまい、嫌になってしまう。だからこそ埋められなかったら放置。逆に、多く勉強できた日は欄外にストックをつくっておく。どうしても進められなかった日はこのストックを使ってよろしい。言うまでもなくこちらの手法の真似である。

②音読をする。法人税法の理論サブノートは1~18のチャプターがある。おおむね1~5、6~10、11~14,15~18の4区分にすればそれぞれ1時間強で音読できる。これを1日の勉強時間の中に組み込む。やりやすいのは朝、あえて窓を開けてその横で音読することである。寒いが、目が覚める。そして酸欠にもなりにくい。長時間連続で音読していると、意外にも息が切れてくるのである。

月~木で1回転、土日でさらに1回転。頻繁に理論に触れることで忘れ止めになる。

③理論暗記をする。これが全く進まない。はかどらない。1歩すすんでは2歩下がるイメージである。まずは必ず1度は手で書く。ボールペンで。人間、手を動かしながら他のことを考えるのは難しい。否応なく文字に集中できる。

しかし何度も手で書くのは厳しい。手が痛くなるからだ。その解決策として、キーボードでメモ帳に打ち込む。こちらはPCを2画面で用意して、片方にワードを全画面表示、片方に理論を全画面表示にして並べ、進める。とにかくやること。それに尽きる。

計算の練習をする。過去の教材がある。が、これを1からすべてやり直すようなことはしない。極力総合問題形式のものだけに絞る。それらの問題の中でどうしてもわからないものは個別問題を解くが、これは最終手段である。とにかく多くの総合問題に触れなければ。

つまづいてしまった論点は別のノートへ書き写す。これも時間をかけてはいけない。走り書きでよい。どうせいつかは自分のものにして捨てるのだ、他人に見せるわけでもない。手段が目的化してはならない。

 

資格試験の難しい点

資格試験が難しいのは、その内容が難しいからではない。勉強をすれば、多くの論点や思考は理解できる。中には難解なものもあるのかもしれないが、それも時間をかければ理解できないことはない。基本的には人間が作った理論なのだ、同じ人間である私たちに理解できない道理はない。

ただ、理解できることと、再現できることは別である。ここが難しい。

再現できることとはつまり、理解できた論理を紙面上に己の力だけで展開できるかどうかということだ。この、己の力だけでという部分が厄介である。ここに本の参照などは含まれない。頼りになるのは自身の記憶のみ。

論理を理解できても、その論理を覚えていなければ、再現できない。再現できるほどに覚えるためには、繰り返しその論理に触れ、脳が自動的にアウトプットできるようになるまで刷り込むしかない。

この、記憶を定着させる行為こそがつらい。単調な繰り返しであるし、新たな発見もない。ただアウトプットと確認の繰り返し、時間計測の繰り返し。ここを継続できるかどうかがわかれ道である。

この、繰り返し解くことによって記憶に定着させるという行為は、今理解した論理を自分の中に刻みつけること、つまりは今ある自分の思考を固定するということである。

そして、昨日覚えた論理を再現できるか確認し、再現できればよし、無理であったならまた記憶しなおす。これは、昨日自分が持つことのできた論理を、今日もまだ持ち続けていられるだろうかと確認する行為である。

このように、勉強とは開拓する行為ではなく、今あるものを大切にするという方向性で繰り返す行為である。今あるものを大切にするというのであれば、それは必然的に継続の力、繰り返しの力を使うしかない。ここに、勉強の難しさがある。

雨の日でも風の日でも、体調が悪くても眠くても、毎日のように勉強を続けることができるか。

誰も理解してくれない。

優しい言葉をかけてくれるような人はいない。

なぜならこれは、ただただ自己完結した世界、自分の可能性を試す行為なのだから。

そして、外乱が発生したとしても、瞬時に軌道修正する。

それができれば、継続を継続することができ、めぐりめぐって次の目標へ私たちを運んでいってくれる。

今あるもの、今理解した論理を、明日以降の自分へつなげていく行為。果てなく広大で、終わりの見えない世界である。