Heavy Duty

一緒に考えましょう。

キャリアコンサルタントさんとのお話。

ある縁からキャリアコンサルタントの方と面談させて頂く機会がありました。

 

説明できる自分がない

今、何をしているのですか?

なぜその仕事をしているのですか? 仕事をしてお金を稼ぐ理由はなんですか? そのお金をどう使いたいですか? その目標はお金でしか叶えることができませんか? あなたは生きてなにがしたいですか?

問われて気がつく。自分の中に、目標としたい強烈な情熱や願望が、ない。

考えてみたけれど、私は自分自身の中にあれをしたい、これをしたいというものがない。

意志薄弱というか、自分がないというか、そういう気質なのだ。

きっとこれまで、周りの人にたくさんのものを与えられて過ごしてきたから、足りないものなんてなかったのだ。

衣食住も十分に与えられ、優しい両親のもとで育ち、職場でも導いてくれる上司や受け入れてくれる同僚に恵まれていた。

このことに、気がついていなかった。

 

人間は考える葦である

有名なパスカルの言葉。

人間は自然のうちで、最も弱い一茎の葦にすぎない。だが、それは『考える葦』である。

自然の中にある人間の矮小さと、しかしその矮小なものの持つ「思考」という手段の偉大さを言い表した大変優れた一節である。

私は常々思っている。なんと人間の存在のちっぽけなことかと。自分ひとりではなにもできないのだ。

それが「思考」することによって、自分自身ができることを拡張するようになった。

仲間と協力することで、自分よりも何倍も大きい動物を倒すことができる。道具を生み出し使うことで、できなかったことをできることに変えていく。

これらの能力があったからこそ、人間はここまで繁栄した。今では70億もの数になる。

例えひとつひとつはただの葦に過ぎずとも、それが無数に集まり、そしてそれぞれ思考するのならば、これはもう無限の可能性があるだろう。

私は、そんな社会の中で生きている。生かされている。

これまで社会の中で与えられて育ってきた私が、これから先、できることはなんだろうか。

この、与えられたものを社会へ返していくこと。次の命が生きるに値すると感じられる社会をつくること。そのことの小さな一部でしかないが、私にできることはそれくらいではないだろうか。

 

きれいごとの価値

このような美辞麗句は、社会から受け入れられにくい。なぜなら胡散臭いからだ。

人間はみな自分勝手であるし、自分本位であるし、他人もそうであると思い込んでいる。

だからこそ、相手がそのようなパーソナリティなりメンタリティを持っていれば安心する。

そして、そうではないもの、きれいごとを言うような人物に対しては警戒心を持つ。なぜなら自分とは違うものだからだ。

けれども私は、現実として、もう自分の中にやりたいことがない。自分の中にやりたいことがないのならば、自分の外側に目を向けるしかない。

自分の内側にしか向けていなかった目を外側へ向けると、おぼろげながら少し世界が見えてくる。

世の中には未だに、お金で困っている人がたくさんいる。借金で首が回らなくなり、自殺する人さえいる。

命さえあればいくらでもやり直せるのに、お金がすべてなのだと思い込み、最も大切なはずの命さえもお金に換えてしまうのだ。

そうならないために、どうすればいいのか。

 

計算の価値

1+1=2である。こんな簡単な真理はない。

しかしこれが複雑になると、途端に難しく感じてしまう。過去の計算の整理であったり、現在時点の正しい状況認識であったり、将来の見通しであったり。

これらの計算を行うために必要なのはなにか。

それは能力ではない。知識である。

1+1=2がわかるのであれば、あとはそれを発展させるだけなのだ。

ただ、この知識はきちんと体系立てられて学ぶ機会が少ない。もちろん学校では教わらない。

加えて、将来の見通しをたてるには将来の収入や支出を見通さなければならない。支出の中には当然税金も含まれる。この計算に関する知識も、まだ一般的ではない。

私は幸運にも、これらの知識を得ることができた。これは自分以外の他者、環境、社会によって与えられたものだ。

私はこれを、社会へ返していくことで、恩返しがしたい。

全ての人が、自分の人生に希望を持てるように。正しい知識と正しい手法によって、正しい見通しを立てることができるように。

見通しを立てることができれば、きっと将来へ希望を持てる。借金で自殺しなければならないような思考も減るだろう。

もしかすると甘い見立てなのかもしれない。しかしこれが今の私の思う、私がしたいことのひとつだ。

 

税理士になる

人がなにかを学びたいと思うとき、必ずその道の先駆者に教えを乞う。その道で先に生きている人、すなわち先生である。

先駆者としてわかりやすいのは資格や肩書である。それが一般的であればあるほどよい。

税理士という資格は、あまり一般的ではないものの、国家資格のひとつであるという認識はあるだろう。

その税理士になることで、その道の先駆者であることを示す。そして知識を提供していく。

そうすればきっと、与えられてばかりだった私の人生も、少しはなにかを返せるものになるだろう。