Heavy Duty

一緒に考えましょう。

自分を知りたいなら、アウトプットを続けてみては?

ブログの毎日更新に取り組み続けて、10日以上過ぎました。正直言ってネタ切れです。

ただ、書くことを続け、それによって生まれたネタがあります。入れ子構造でなんだか不思議ですが……。 

 

あなたは何者ですか?

自分とはいったい何者なのか。古今東西の様々な人が悩み取り組み続けてきた普遍的な問題である。なにが好きで、何が嫌いで、そして、どこからきてどこへ行くのか。

今、なんのために何をしているのか。あるいは、好きなものを突き詰めるために、どうしたいのか、どうすべきなのか。あまりにも選択肢が広いばかりに、逆にどうすればいいのかわからなくなる。

 

書くことで見えてきたもの

私は考えることが好きだ。これは間違いない。四六時中なにか考えているし、新しいテーマを見つけるとついそちらへ意識が向いてしまう。

普段考えていることについてアウトプットすることは少なく、せいぜい身近な人へ話をする程度なのだが、ただ私が興味を持つテーマについて、同じように興味を持つようなひとは身近にいない。

多くの人が好きなのは、有名人の一挙手一投足や、凶悪犯罪や、政治の揚げ足取りといったテーマだ。一方私はというと、そのような一過性のテーマにはあまり興味がなく、考えるとはどういうことなのか、人が人を評価するのはどういうことなのか、あるいは政治の成功例や失敗例から学べることはなんなのかといった普遍的なテーマに興味がある。

これは抽象的な概念であるので、あまり現実味がなく、端的に言って面白さがわかりにくい。きっと考えること自体が好きでないと、取り組みたいと思わないだろう。だからこそ私は身近な人と自分の思考について共有できないし、身近な人の思考を共有することに対して消極的である。

そんな私だが、考えることと同様、長く取り組んでいるテーマがもうひとつあり、それが税理士試験だ。税理士試験は範囲が広く、長丁場になりやすい。このため継続することがなによりも大切なのだが、私にとってこれがどうも難しい。継続できたという強烈な経験に基づく自信が不足しているためであると思う。

自分はこれを続けられている、と誇れる自分になりたくて、このブログを毎日更新することに決めた。毎日更新するとなると、容易ではない。最初の頃はよかった。書きたいことがある程度あるし、考えることも文章を書くことも好きだから、あまり苦痛ではない。

ただ、毎日続けるとなるとどうしてもネタ切れするようになる。時事ネタを取り扱うことができればいいのだが、前述のとおりそもそもそういう対象に興味が薄い上、家にテレビがなくメディアに触れる機会も少ない。そうなると自分の頭の中から捻りだすことになるのだが、これが意外にも面白い。

ウンウン唸って捻りだしたテーマというのは、普段あまり考えていないもの、つまりは自分とかかわりが少ないテーマになる。けれども、そのことについて無理やり考えて文章を考えていると、なるほど自分はこう考えるのだな、という気づきが得られる。

自分のことは自分が一番わかっていると思いがちだが、当たり前だが自分を自分で直接見ることはできない。人格の内部に外部を作ることは至難の業なので、自分を観測するということほど難しいことはない。

しかし、この無理やり考えるということを続けていくと、少しずつだが客観的に自分を見ることができるようになる。そもそも文章として出力すること自体が客観化なので、その効果もあるだろう。

いずれにしても、こう考えるのだなという気づきや、確かにそうだなという同意、そしてこれはできていないなという自分への戒めも持つことができる。例えば先日努力についての記事を書いたのだが、この中で私は目標と現在との差分を測定し、それを評価た上で軌道修正しなければならない旨を書いている。

これは考えてみれば当たり前のことだし、実際税理士試験を含む資格試験の勉強法について検索すると、同様の趣旨のことが頻繁に書いてある。

ただ私は、これが自分の中から出てきたということに価値があると思っている。

自分の中から出てきたということは、その思考が自分にあるということであり、更に言えば取り組むことができるということである。インプットで内側に入ってきた考え方よりも、このことは何倍もの価値があると思う。

 

継続することで得られるもの

正直言って、書くことはそれなりに時間がかかるし、そもそも税理士試験に取り組んでいるのだから余計なことに時間を使うべきではないかもしれない、と考え始めていた。続けることで自分に自信を持てるとは考えていたが、それと時間を天秤にかけたとき、どちらが重いだろうかという風に。

けれども続けてみると、意外な発見があった。自分を対象として学ぶことができるということである。

分人という考え方がある。現代に生きる人は学校、職場、家庭、趣味仲間、ネットなど様々なコミュニティに属している。これらそれぞれにおける人格は必ずしも統合されず、それぞれに最適化された人格が形成されていくというものだ。

私にとってこのブログは、その分人のひとりになるのかもしれない。