人間は全員、どこかで生まれてどこかで育ち、どこかで大人になって、どこかで生きていく。
生まれ育った環境は、その後の人生に大きく影響する。
金銭的に余裕があったのかどうか。
文化的なものに触れる機会のある環境だったのかどうか。
両親ともに健康だったのかどうか。
特に両親というのは、子供に圧倒的な影響を与える。
規範や倫理観、考え方や価値観の方向性について、もはや子供は、親のコピーであると言ってよい。
そしてこれは本人にとって、自分で学び選択したものではないということになる。
私は、幼少期の記憶が薄い。
最近思い至ったのだが、これは、自分で自分を選択していなかったことによる弊害なのではないか、と思う。
他人に従って自分を規定する行為は、命令を受信して実行するだけであり、つまりは自分自身の思考が伴わない。
自分で思考しないということは、いわゆる思考停止であり、それは内側にも外側にも向かわない、ただ流れるだけの時間である。
話を戻すが、知らず知らずのうちに刷り込まれたものは、そのままその人の人生に影響を与える。
そしてそれが顕著に表れる例が、普通思考である。
普通は、なにかを勉強するときはテキストを読み込んで進める。
普通は、失敗するリスクがあるものには手を出さない。
普通は、勉強することに価値があるものだ。
しかしこれらは、間違いだ。
テキストを読み込んでも現場を勉強したことにはならないし、リスクをとらなければ成功できないし、価値があるのは勉強ではなく成果である。
このように刷り込まれたものが誤りである場合、その誤りは次の世代まで引き継がれる。
誤りは誤りを再生産する。
それは、人間が目指すべき方向性ではないように思う。